おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

ここ数日の、おかずの残りでした。

塾代とお稽古代を支払いました。
あと、長女がちょこちょこ言ってくるし、大変です。



まさの子の息子が、私の婆さんを夜な夜な、いたぶっていることを聞いて、
憤った父は、まさの子の家に父が話を付けに行きました。
道に出て、大声で、伯父と伯母が父とけんかをしはじめました。
大体、あの人のことはどうなってるんや、俺が渡した花束をあんたの嫁さんが
部屋に飾ってたんや、あの人はどこにいるんや、
それに息子が、婆さんをいたぶるのをやめたってくれや!
という内容のことを、父は言っていた。
伯父は、あれは、老人ホームにおるんや、大丈夫や。
婆さんは、道を歩いている男がおったら、手招きして、家に誘い込んでるんや。いやらしい、いやらしいんよ。という意のことを笑いながら、父に対して言った。
さらに父が伯父を詰問すると、あれは、役場の人に頼んで処理した。
と伯父が言いだした。
処理したかどうかは、役場の職員の進退に関わるから、焼いたはなかった、と私は思う。
伯父と伯母が、せせら笑いながらいなくなった後、
祖母から父が、暴力被害の聞き取りをしていた。
根ができて、せこい、せこい(方言:しんどい)と祖母は、言っていた。
祖母が突然笑い出した。
単純に伯父の言いなりになっていて、時折、おかいちょうをしたら、
生活は成り立つので、長年伯父にも隷属したようだった。
山中であり、今のようにテレビや映画などの娯楽はまだまだ普及していなかったし、
インターネットもできない時代、
恋愛と、すけべえが山中の人の楽しみだった。
みんなつながっていたのかもしれない。
私の祖母の時代の女はみんな気の毒だった。
父の妹、とし叔母は、なんと、この虐待事件について、
まさの子の息子についていた。
おっさんとおばさんもできていたかもしれない。
おばの父に対する横領財産の件、
DNAをやっていない兄疑惑に財産の分配をしたことなど、
おばたまの行方不明事件の件、
手形小切手詐欺の咎、
とし叔母のような、きちんと中学を卒業しただけのただの女が、
日本有数のよん国の、国主となることは分不相当であった。


御方様を木屋小屋から救い出してもらいたいと私は希望しているが、
今の、私は、ただの中年。
何の力も持ち合わせていない。