おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

弁当、朝食。

弁当。
長女は試験で弁当なしです。

朝食。
蕎麦です。
低GI?だったけGUでしたよね。
蕎麦の風味は好きです。

離婚して元旦の所有する家からの退去期限がありました。
離婚事由がないし、愛情はないけど、
こっちから離婚申し立てしたいってその点が国に対しての不信感です。
結婚してすぐ位から、義母に疎まれていたので、
ずいぶん前から法律家が入っていたと思っています。
新居は、駐車場込みで偶然家賃扶助の金額の物件が見つかったので、
そこに入居しました。
入居してすぐに近くに住む女の子が長女と登校してくれることになり、
家に放課後毎日その女の子が遊びに来るようになりました。
うちは、割とおもちゃが大量にあったし、
考慮なく買う癖があるので、こんなぼろいハイツになぜこんな良いおもちゃがという
母子家庭だったのと、DVDをリッピングして置いていたのが
近隣の子供たちの人気だったこともあります。
ある日、明け方近くに、一緒に登校してくれていた女の子の家が全焼しました。
で、女の子と、ママが亡くなってしまったんです。
葬式に住んでいたハイツの前に遭った公民館まで行きました。
一度餃子を私が作っている最中に焼死した女の子が家で遊んでいて、
珍しく私はその女の子に対して、餃子をあげなかったことが
いまだに後悔していているところです。
たまにその女の子が夢に出てくるんです。
川で次女が菌をもらって、その時期ぐらいから面相が変わり始めて、
手術や持病の悪化など、新天地選びでケチが付いたという感もあります。
とにかく、幼児の時期長女の組の子や、友だちが突然死したことも悲しい思い出です。