おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

夜ごはん。

チキンカツと、ブロッコリーと、里芋のクルミ味噌和えと、米です。


父は、まさ一家が専横していた故郷から本州にでるべく
準備を進めた。
奥方様が好きそうな、舶来もののキャンデーなどを本州から戻るときに
買って帰って、お見舞いを言づけた。
草むらの君のことが恋しくなって、よつ国に戻ることもあった。
兄の母とは、たまに会って、都会の楽しさを感じた。
父にとっての青春は、本州からよつ国を出入国する時期だった。
兄の母に対しては、背中を流してもらう目的で、
当初は愛がなかったそうだ。
男気を見せてよ、と店で言われたときに、たまたま大金を持っていて、
全額借金を返済してあげたのに、翌日にまたサービスをしていたそうで、
兄の母は少し病んでいた。
キティ・ホワイトの時の人格が一番怖いと、みんな言っていた。
おばちゃん(兄の母)の人柄が、アントワネットの時もあって、
腹の底から、エンターテインメント性がある時は、笑えるから、金で解決できるし、
ずるずる交際が続いたそうだ。
おばちゃんは、トルコ仲間と引退時期について話し合っていて、
金持ちで、気に入った人と合わせる時には、生でやって、
そのやり方で成功者になる仲間が多かったそうで、
陽気にその時のことを話しているのを私は聞いた。
医師の奥に収まる子か、金融業しゃの奥が多かったみたい。
人体を知り尽くした者同士でお似合いだったそうだ。


私が生まれて、父が暮らす家に初めて来たとき、姉が近所の子供たちと、
赤ちゃんが来たと盛り上がっていた。
おっちゃんの子、かわいがってな、と父が姉に言った。
母は、父と、結婚する前から、まさに隷属していた。
姉が連れてくる男児に踏み付け被害に沢山あった。
首を変な方向に曲げられることもあり、私は、苦しんでいた。
兄が毎日、うちに来て、私をあやしていった。
父がとても喜んでいた。
瑞兆の私。
兄が私の口が動くのを見てやってしまった出来事で、
父が兄を大声でしかりつけた。
お前とは、縁を切る、二度とあの子の前に来ないでと言った。
あいつのせいで、あいつのせいで、と兄が泣きながら言って、いなくなった。
私の件は、兄にとっては、初めての挫折経験だったようで、
後日、兄が兄の母を連れて、
我が家に金銭面での要求をした時に兄が泣きながら言っていた。
兄は、パパは、僕に愛をくれないのなら、お金を頂戴と、父に言った。
父は、乳飲み子の兄と僕を置いて出たのは、お前だろう、
なんで、けいが悪いことになるんだ!
もう二度とここに来ないで、お金は全財産やる、と言って、
当時6千万円入った預貯金通帳を兄に渡した。
私の母は、あんたが悪いんよと、私を蹴り、踏んだ。
強い方に味方するのが母の思考だった。
兄は、二度とこないどころか、父の実家からも支援を受けて、
良い職業に就いたが、おけいのことがあるから、
坊主になっていることであろうと思っているが、どうなんかな。