夜ごはん。
親子丼とポテトサラダ予定です。
寒天なども適当に食べます。
兄が愛を金に交換した日、外で、小さい女の子と、
背の高いおばちゃんとそっくりな男性が立っておばちゃんを待っていた。
父と兄を置いて出奔した後、株をやっている人と恋仲になって、
産んだ子だそうだ。
おばちゃんはその後、街で待ち合わせをしているときに、
ぐらっときて、朝鮮人医師の妻になった。
いつも出てくるあの医師のことだ。
あの、医師がとんちゃんに話していたおばちゃんに関することは、
最終処分は、肉としておばちゃんを食らう目的と、
朝鮮人医師が日本に帰化申請時に、おばちゃんが、おっさんの元妻であるから、
役に立ったことをあげていた。
6千万円の手切れ時、おばちゃんの主張としては、
ずっとアパートであんたを待っていて辛かった、
いつまでもはっきりしてくれなかった、
結婚後は、けちけちけちけち、物を一つ買う時にも、
何時間も迷うあんたには、うんざりよ、という内容だった。
医師のおっちゃんと出会った時、
君の欲しいものを何でも買ってあげるよ、と言われた。
おばちゃんは、絵のモデルになるくらいの容姿だったし、
父が通うぐらい才能あふれる女性だったが、そのころは、
気味悪いくらい白いブタにしか見えなかった。
おばちゃんは、金策に明け暮れていて、
手切れ後も、しばしば父の留守中に、母の友だちになると言って、
玄関で一方的に、かこばなで、立ち話をしまくっていた。
おばちゃんが来襲するのは、父が帰宅する時間が多かった。
父におばちゃんは、金を渡してもらうとすぐに消えた。
私は、大概、おばちゃんの話を覚えている。
父の周辺に、常に、おばちゃんの影があった。
兄が金を渡して、お兄ちゃんが怒ってくるなど、姉と私の周りで暴力があった。
財布から金を出して、怒りつけてくるお兄ちゃんが来たり、怖かった。
父と私が歩いていると、このあほーあほーあほうどりー、など、
中年男性から暴言を吐かれたりもした。
これもしょっちゅうだった。
警察には相談に行ったが、
ふるさとの伯父と伯母が親切にたかおちゃんが悪いと引き継いでくれていたので、
父は追い込まれた。
母は、よん国の廃嫡子に隷属していて、
圭子には一銭たりともつこうたらあかんけんな、と言われていて、
私は、地域の誰よりも古い服をいつも着させられていた。
兄は、たまに道で出会うことがあった。
兄は、いつもブランド物の服を着ていた。
これが国法と言えようか。
御方様は、小さいふっくらした頬の弟君を可愛がっていた。
しつけを称して、女官にいびられきった。
御方様は、女官を棒きれで、追い払った。
てておやの妻から、疎んぜられて、薬を飲まされて、
何度か死にかけたが、復活した。
弟君のおふちが少ないのは、母が芸者だったから、と憤っていた。
弟が恥をかかないようにと、殿の目を盗んで仕送りをした。
殿は、細かいところに気が付くので、ばれないように仕送りするのは、
大変だった。
父翁が縁談を決めてきたけど、意中の人がいて、心焦がした。
背が高くて、男前。
あんなブタの横で立つなんて、と泣きに泣いた。
って言ってます。
でも、イケメンとはうまくいかなかったから、金満ブタ殿の嫁で良かったと思ってます。
殿の気配が出る子孫は温和で太っていて、
御方の気配が出るととにかく前に出る猫で、
親せきの外見も笑えるところ。
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