おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

夜ごはん。

高野豆腐と、白菜と豚バラ煮と、冷凍鯖予定です。
米もありました。


弟君と、いつも砂糖水を争って、飲んでいた。
ある日、違う女官が砂糖水を持ってきた。
弟君が砂糖水を飲もうとしなかった。
御方様は、ぐびぐび砂糖水を飲み干した。
小半時して、腹が痛みだした。
転がりまわるほどだった。
弟君の洞察力のずば抜けたこと!
この弟君の賢さを父翁に奏上した。
弟君ほど賢く、豊かな容姿の男子はいないと称えそめす奥方。


とんちゃんハウスのお姉ちゃんは、目が見えないと言っていた。
お姉ちゃんの膝の上に乗るのが好きだったので、
そっと寄っていくと、膝の上で転がしてくれた。
お姉ちゃんもおけいが膝に乗ると目が少し良くなると言っていた。
朝鮮人医師のことは私は好きだった。
医師に抱かれて、ロッキングチェアに揺られて眠りに入ることも多かった。
トンちゃんの作るご飯はとても美味しく、ハイカラだった。
お皿までなめて食べていると、トンちゃんは、目を細めて、喜んでくれた。
私は、トンちゃんを深く愛している。
何度か、とんちゃんハウスを往復した。
私が怪我をするたびに父が、病院に受け入れてもらえないばかりか、
大声で父を罵倒する男性に棒を持って追われた。
あほーあほー。と言いまわられた。
次に来たら、子どもの足を切ると言われていたので、
病院に行けなくなり、結局は、ハウスの朝鮮人医師を頼るしかなかった。
昔は、加虐者につく人が多く、被害児童は間引きの分類だった。
父は、王者としての資質を持った人間であった。
正道に従って、私の父は正しいことを行ったのだ。
足が治癒し、すぐに私の顔に大きな引っ搔き傷を母がつけた。
母は、よん国のまさの子の指示に従い、間引きを頑張ったのだ。
父はこのころ限界に達していた。


朝鮮人医師は高身長で、いかすおっちゃんだった。
小さい医師がその地区の医療OPリーダーで
朝鮮人医師も、それに従っていたみたいに覚えている。
小さい医師の息子を称する乱暴な男児にお兄ちゃんは乱暴されていた。
小さい医師は、のこ引きなど、刑場の役人が先祖で、
いかに苦しんで殺すか、などを考えていたそうだ。
私は、体と魂が分離する症状があって、
ハウス内を飛んでいた。
良くみんなの話を聞いた。


ってさ。