おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

夜ごはん。

肉団子の酢豚風と、ゆでた小松菜でした。
レンジで作ったので、色が悪く仕上がりました。
三角チョコパイを長女が買ってくる予定です。


お兄ちゃんに、暴力されたけど、ずっと一緒にいるので、
妙に仲良くなった。
CECILというアーモンド入りのチョコをたくさん食べさせてもらった。
チョコが、美味しすぎて、何個も頂戴をしたら、沢山くれた。
やせっぽちだった私は、ぽんぽんに太った。
たまに白いお姉ちゃんが、美人のお姉ちゃんとコンビで、強いお兄ちゃんと
家に入ってくるときもあった。
白いお姉ちゃんは、ガムをくれたり、強いお兄ちゃんから、
暴力されるのを止めてくれたりした。
金策に走っていたトルコのおばちゃんは、一時激やせしていて、
お姉ちゃんみたいに見えた。
友だちを連れて来て、化粧品の営業をする話をしていた。
父と元兄疑惑の母との話で記憶していることで覚えているのが、
たかとりのアパートから、出奔してから、元に戻ったけど、客筋が悪くなって、
体調を崩した、借金を負って、死ぬ寸前だということだった。
現代は、自己破産の仕組みができたが、当時は、身を売るしかなかった。
兄は、当時、一人暮らしをしているとも聞いたし、
父の妹の自称跡取りの世話になっているとも聞いた。
私の姉は、私が失踪中は、よん国のまさ一家の世話になっていたようだ。
母は、私が家に戻ったときに、白い小さい臍の緒の箱を手に涙していた。
本当は、3人子どもを育てるつもりだったけど、この子のせいで、
と母がたまに呟いていたこともあった。
父は、獄門の責め苦を考える先祖がいる医師と友だちになっていた。
私の件で、あほうどりよばわりされるし、法律家が付いた妹に、破れるし、
ひどい目に遭ったけど、通じるところがあったようだった。
新平民同士仲良くしようと言われたそうだ。
新平民とは、違ったようだったが、一緒に銭湯に行くことは多かったようだ。
父は、このルートから、ホルモンをもらってきて、
家で食べるようにもなっていた。
お礼に、父は、もぐさを獄門医師にプレゼントする等、異文化交流は続いた。
医師の子弟が多く通う幼稚園に姉を通わせるようになり、
母は、ママ友を作ろうとしたけど、怒りっぽいので、いいかも?
そこで生命保険の営業をやっている一家を紹介されて、
父に保険金をかけるようになった。


御方様は、なんでも一番乗りを目指したので、たたみで膝が擦り切れて、
真っ黒だった。
父翁に、弟君の膝頭の美しさをとくとくと説明されて、
もう少しおっとりと穏やかに動作するように言われた。
弟君の優れたところを見習い、それ以来、一番乗りも目指すけど、
膝頭をぶつけないように所作した。
姉弟と、手を取り合い、邸内での孤独に耐え抜いた。
弟のおかげで、生き抜くことができた。
くれぐれも返すことなきよう。
たかおうの支えで晩さん会は楽しかった
お化粧もしてくれた
今は、土屋小屋でいて、おけいの体を借りて、きゅうきゅういって、
飛び回った
恐れおののく知恵遅れの子が、面白くて飛び回りすぎて退治され