おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

弁当、朝食。

弁当。

朝食。

3連休で、家に子どもがいる時間が長く、疲れました。



父の葬儀には、たくさん人が来ました。
母は、病院の公衆電話から、よつ国へ、電話を長時間かけていて、
小銭が足りなくて、途中で電話が切れてご銭両替してもらった等と
言っていました。
父の意識が一時回復したけど、また落ちた前後で、
元兄とトルコのおばちゃんがお見舞いに来ていたと、言っていました。
祖母と、とし叔母が、高熱を出して苦しんでいる父の体温を冷やす氷枕を取った、
鬼、と葬儀後も、母が怒っていました。
母は、たかおのために、全部氷枕を戻したと、騒ぎ立てていました。
命が助からないのなら、早く楽にしてやりたいという祖母の気持ちだったようです。
因みにこのエピソードに関しては、私は、ニュートラルです。
まさの子と母の姉こと、まさの子の妻もよん国から、来ました。
母の姉は、最初、子守で家に入って、いついて、ああなった、と祖母が言っていました。
子守がしつけをして、私の母の焦点が合わなくなった、と泣いていました。
外国の踊り子に一目ぼれして、出来た子を引き取る言い訳として、
子守と言ったようですが、一人で全滅させるという作戦とも取れないでもなく、
外国からの侵攻で、よん国が滅しかけている時代でした。
焼き場には、私は行きませんでした。
ショックを受けるから、と言われました。
しかし、てておやの骨を見る程度で、ショックを受けるたまではないので、
骨を拾いに行きたかったと今も悔やんでいます。
3連休が明けて、翌週の木曜日から小学校に行きました。
祭壇が片付けられて、さびしくなりました。
先週まで、生きていた父がいなくなった実感がわきました。
私は、このころから激しい、湿疹と、陰部のかゆみに悩むようになりました。
母に言っても、じゃかましいんじゃ、いね、と言われて、
病院に連れて行ってもらえなかったので、
ひどくなり、姉におけいが、気持ち悪いと、周辺にもらされていました。
爵持ちの一家の末裔と思えない母の不行状がひどくなっていったのもこの頃でした。


つづく