おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

弁当、朝食。

弁当。

朝食。


とし叔母といえば、子守の手で、犬の子のように交わりて成長したと、
祖母が言っていた。
そんなとし叔母が、爵を得た方法と言えば、想像がつくであろう。
ちょっと法律家と合わせて、大声で、身内の大人しい人に対して、叱りつけたり、
威嚇的行動を人前でやれば、のしあがっていくのが、昭和平成の時代であった。
新平民が平等な世を目指し、法律解釈をして、配分していくルールにのろうと思うれば、
どうすれば良いか、ということが、とし叔母を見ればわかる。
父と、とし叔母の立ち話から1億円手形で詐欺被害に遭った、という話は覚えている。
簡単な手口にはまって馬鹿なやつ、まともに中学を卒業したら、ああなると
父が言っていた。
平成元年、私は、中学をなんとか卒業でき、高校に入学した。
体調不良に苦しんでいた。
通学の電車がつらく、立つのもやっとだったけど、学校はほとんど欠席しなかった。
私は、女子高生なのに、体の痛みと、コリがひどく、
対して、一緒に通学していた女子の背筋がしゃんとして、
美しかったこと、物を買ってもらっているので、女子高生らしい風情が
かわいかったことも覚えている。
私と言えば、小学校の時に母が買った、臭いタッパに入った弁当だったし、
女子高生風情の物を買ってもらった記憶がなく、
母にとって子どもって、何だったんだろうか、と思う。
いちいち細々考えていたら子育てできないっていう例としては行き過ぎだった。
高校2年生の時に、母の弟が神社で大けがをして倒れて、意識不明との連絡が来た。
お祭りで酔っぱらって、階段から、なだれのごとく、転落した、とのことを
まさの子が母に電話で言ったと私は母から聞いた。
神社の階段、といえば、階段の各段の幅が、80センチくらいあるので、
なだれのごとく、転落して、大けがはないと思った。
祖母への暴力の件もあったので、また暴力で母の弟まで被害に、と私は思った。