おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

弁当、朝食。

弁当。

朝食。

午前中に、通院しました。
心電図とレントゲンを撮影しました。
現状維持です。


おはなし、つづき


母の弟は、肌のつや光があのゼネラル、公方とそっくりでした。
叔父を思い出し、なぜ、ラスト公方が、最後のゼネラルに選択されたか、
を子孫であるおけいは考えました。
黙って座っていられる、ある程度の知的能力、暴力行動がない、遠くから見て、
肌につや光があり、見栄えもそこそこであった点、温和なもので、敵が少なかった
ので、ましっていう観点で、比較的優れていたからだ、と推測します。
叔父は、大けがする前に、左官業をやっていました。
ゼネラルのひ孫が左官ってのも笑えるところです。
塗った直後に、何度か職場を荒らされることが続き、
稼業としては成り立たなくなっていて、叔父は毎日出勤するふりをしていました。
一家は、困っていたみたいです。
叔父の妻が悪くない女性で、当時バブル時代で、ゴルフ場の建設があり、
山にできたゴルフ場の職員として、叔父の妻が働いていて、生計を立てていました。
日本有数の資産を誇った、よん国の近世の子孫にしては、貧しく、
私は、かなり、国の配分が、おかしいと感じます。
御方様が持参したお宝の数々も消失しています。
暴力行動がある、母の半分姉の一家は、まだ続いていて、
裏も裏として存在していて、御方様の葬儀が行われたあともないです。
国の遺産はどこに行って誰が配分されたのか、
父の妹が、公の跡取りを自称している状態はまだ続いていて、
私の家族だけではなく、母の弟一家への冷遇もあります。
母の弟の叔父は、事故後、働くことができなくなり、
家で引きこもり状態でした。
祖母が叔父を支えていて、平成7年の正月に叔父は餅をのどに詰まらせて急死しました。
還暦にも満たない叔父が誤嚥で亡くなることは私にとって、驚きでした。
祖母は、まさの子とその息子に対して、小遣い銭を渡し続けていました。
女を従わせようと思ったら、どうすれば良いのかが、
伯父と、その息子を見れば、分かります。


つづく