おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

夜ごはん。

茹でうどんと、パプリカ豚肉炒めでした。
おうちでイオンを頼んだので、数日イオン食材が続きます。
豚肉は、良いと思います。

次女が、期末試験で、女子の中で、クラス一番だったみたいです。
結構上がってきましたが、志望校がどうなるかと思います。


おはなし


母の弟の事故後、まさの子に母の弟の妻が言い寄られて、
困っているという話を母が言っていました。
この妻の人柄と言えば、実直で、悪くない人だったので、
気味悪い爺さんと私は思っていました。
差し込んだらなんとかなるって、単純な思想のまさの子です。
当時、O政治家、が応援で来て、抱擁したと、
母の半分姉が言っていました。
付き添いの男性がイケメンだったみたいで、伯母はのぼせたようです。
母と言えば、叔父が事故後後遺症に苦しんでいた当時、
彼氏が変わっていました。
極妻が流行っていたので、三田さん調の雰囲気を目指していて、その話っぷりでした。
私もあたし、と自称していました。
実家の、住環境が悪く、かといって、私自身も鈍麻だったので、
かなり室内環境が悪かったと思います。
母の彼、といえば、顔じゅうに気味悪いイボまみれで、
ひどい口臭持ちのおっちゃんの次は、
母が働いていた先の監査役の寺乞食の子孫のおっちゃでした。
母子家庭の母親がひっかけるランクはその程度で、また
母と言えば、大罪を犯したわけで、
乞食ランクしか引っかからなかったと思っています。
母の男の持つ黴が感染するのか、体調がひどくなっていったのも、
母の男遍歴によっています。
母の弟の妻と私の従妹が突然、家を出たのは、
確か、私が大学生の時だったと思います。
預金通帳が0円にされて、ゴミ箱に捨てられていた、
あんな意地悪な子と、母が電話で憤っていました。
これは母と母の姉による作話であったと私が気が付いたのが、
これからかなり経った、平成7年の正月でした。
まさの子の息子が私が大学に進学したことを怒っていて、
それもあってか、入学施設準備金は支払ってくれたけど、
一年後期以降の学費を母が私に対して、一切支払わなくなったのも
まさの子の息子の指示であったかもしれません。