おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食、昼ごはん。

朝食。

昼はピラフでした。



おはなし


母の弟、叔父の大けが前後で、国で何が起こったのか、
細かい点は不明です。
40億円の話が残っています。
バブル時代にまさの子と、父の妹と母の姉が富める国の遺産を浪費していったことは、
間違いないと思っています。
資金繰りが悪化して、まさの子一家が、
破産したのが平成12,3年頃だったように思います。
平成17年の正月に母の弟が、誤嚥で亡くなり、葬儀が終わった数日後、
私は、実家の母に誘われて、1月2か3日に、娘2人を連れて、よつ国へ、渡りました。
私は、おせち料理をたくさん作って持って行きました。
母が言うには、なんでも、あっちには揃っているから、
なんにも持って行かんでええけんな、心配はなんもせんでええけん、
とのことでしたが、
母の弟の妻である叔母が、いなくなってから、
後期高齢の祖母と、寝たきり状態の叔父二人の家であったわけで、
また母の言うことには、偽りがあることが多く、感覚の相違で、
反対だと私は、予想しました。
私は、包丁などの調理器具をダイソーで買って帰り、
電子レンジがないということだったので、
電子レンジの安価な機種をお土産に持って帰りました。
母は、姉の子2人を連れてきたので、母にとっての孫4人での、
よつ国での正月となりました。
祖母の家に到着して驚いたことは、
生垣が枯れはてていて、生垣の土がほとんど削り取られていました。
コンクリートも朽ち果てていました。
神様の飾り物などに×印の傷が大きくつけられていました。
木材などもはがされている個所が多く、祖母の家は、
不気味な雰囲気になっていました。
叔母が出て行ってから、ほとんど、メンテナンスが行われず、
叔母が男性を家に連れて来て、嫁入り道具を運び出した設定のはずが、
叔母の荷物は置きっぱなしでそのまま使っていました。
男を作って、外泊して、出て行った設定にしたかったようですが、
現実は、まさの子の誘いを断ったため、嫌がらせに遭い、
避難的に家を出ざるを得なかったというのが、叔母の真実であると思います。
時が平成元年から止まっているようでした。


つづく