おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食、昼食。

朝は残りでした。

昼と夜用に、煮物と、トマトソースを作りました。
ソースを使用し、スパゲッティが昼ごはんでした。



おはなし


姉の態度で、距離を置こうと決心した決定的な出来事として、
食事や食べ物を提供すると、吐くふりを何度もしてくるのと、
痰を吐く音を何度も出してくることが何度かこの数十年で観察された
という点でした。
母は、身分を落とした大罪人ですから、姉と母は、親子で、お似合いです。
祖母の家で、祖母が、杖を持っているかどうかの確認をして、
トイレと風呂を土間の隣に作ったらなどと、祖母に言ってみました。
地域の婦人会がおせち料理の配りをしてくれていて、祖母は
それよりもおけいの料理は美味しいと言ってくれました。
ナポリタンスパゲッティを作ったり、祖母宅にある芋を使って、
揚げ芋を作ったり、なんとか2日間を過ごしました。
普段は、行商人が調味料などを売りに来ると、祖母が言っていました。
滞在中、トイレをどうしたか、というと、
子どもたちは、排水溝が洗濯機のそばにあり、
小は、そこで用を足させて、水を流しました。
大の時と、大人は、道の駅まで、歩いて行って、トイレを貸してもらいました。
お礼に、夜は、自販機で飲み物を調達し、正月だけど、
地場産の食料が売ってあったので、昼は、それを買いました。
母と祖母は、家のトイレで普通に用を足していましたが、
視力が良いから、私とうちの子らは、
怖くて、トイレをすることができませんでした。
私は、帰宅する時に、シルバーカーを送ってやるという意のことを言って、
帰宅しました。


づつく