おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

ハンバーグスパゲッティでした。

カレー一家の若奥様こと、乳母殿が経営する保育園は順調だった。
シール帳で、えんじの出席連絡帳の、お帳面を作ったのは、若奥様がさきがけだった。
おけいも、毎日シールを貼ることを、
楽しみにしていた。
ボンボンの実母は、病気で入院していた。
ボンボンと、カレー当主、私、ぼくちゃんの4人で、
一緒にバラの花をもって、ボンボンのママのお見舞いに行った。
ボンボンのママはししゃくのカスじの人で大人しく、美しい女性だった。
ボンボンはいつも、リーダーで毅然とした幼児だったが、
初めて、ボンボンがママに甘えて、泣くところをおけいは見た。
病室からおけいはひっそり立ち去り、病室の前の椅子で、寝てしまった。
カレーの当主が、おけいをいつの間にか抱っこしてくれていて、
それ以降、おけいも、ボンボンの取り巻きとして、
起居をボンボンの家でしても良いことになった。
ボンボンは、ママのことは、嫌いだと言っていた。
何もしないからだそうだ。
おけいは、実母から捨てられたので、同じ境遇だったことも、
ボンボンと、乳母殿の息子さんと、心が合う理由だったと思う。
乳母殿こと、若奥様の息子は、若奥様に似て、繊細な美男子だった。
おけいは、養育しつけをする人がいなかったため、
女児としては最悪の幼児だった。
ボンボンと乳母殿の息子さんに、
口酸っぱくマナーを注意をされるので、おけいは、凹んでいた。
でも、ボンボンの、おけいに対する指摘は、的確だった。
カレー一家のパパは、猟銃の趣味があって、
家にすごい猟銃コレクションが置いてあった。
ボンボンの家で、子ども3人と、乳母殿でいるときに、保育園の出入り帳を
若奥様こと乳母殿と、計算をしていた。
乳母殿は、優れた人柄だったが、算数が苦手だった。
ボンボンは理系の家系だったので、誤算を指摘し、
帳簿は合った。
幼児の時から、当主が英才教育をしたからだけではなく、
持って生まれたボンボンの才能だった。
家で3人で、かくれんぼをしている時に、二人の暴漢が家に侵入した。
帳簿を記入している若奥様に、注射をして、若奥様が亡くなった。
おけいは、ソファーの陰で、一部始終を見ていた。
ボンボンと若奥様の息子さんは、広い家の中のいつもの隠れ場所に
隠れて、難を逃れた。
おけいは、犯人グループに見つかったが、死んだふりをしていたところ、
命は助かった。
当時は、東西冷戦時代で、みやに出入りする家族の中で、
優秀な家の人に狙いをつけて、財産を奪って
活動資金を得ることを、あかがやっていた。
冷戦時代の恐怖の幕開け時代だった。