昼、夜ごはん。
バナナシェークを作りました。
からし蓮根を買ってみました。
添加物の味が強く感じ、ちょっと食べられないかもしれない、と
思いました。
昔、土産物を、食べたときには、そう思わなかったんですけど、
スーパーで売るとなったら、増えるからでしょうかね。
夜も同じになります。
具合が悪くて、疲れるので、料理はしない予定です。
大雨の後、みやうちに出入りしていた、特殊部落の金融業者が倒れていた。
たまたま通りがかった医師がその金融業者を蘇生させた。
私は、長い間、眠り続けていた。
まりこちゃん兄弟と、わたし、2みやの、裏山の散歩に
付き添っていたにょかんが離宮の裏山で変死していた。
当時、在日外国人が、裁判所のつてで、沢山、警察官になっていた。
当初、上意で、のちに、にょかん殺人事件の捜査名目で
父の預貯金が、全国の金融機関で、
支払い停止処分になり、父の資産の凍結が国の命令で行われた。
父の私財の運び出しが、うご県警察官らによって、行われた。
日本は、立憲民主制であると、公民で教わったが、そうではなかったのだ。
くろうどらの情報によると、父の当座預金小切手を国の判事が勝手に振り出し、
特殊部落の金融者から、う族全員に対して、配分が行われた。
私の母は、27おく、他のう族もかなり配分を受けた。
まどみやは、皆への配分の受け渡しに居合わせ、
どう考えても、受け取ってはならない小切手だったので、場の雰囲気では、
受け取り拒否はできなかったので、
一旦受け取り、その足で、父の元に小切手を返却しに来た。
父は、無一文になった。
この返却してもらえた1おくの額面の切手を故郷の地方銀行で、
私の看病で来ていた親族の女性に換金してもらって、
一族は、この1おくで、ゴルフ場を経営することになった。
この女性は、パーティに参加してもらいたいと、いわれて、
参加した際に、太郎の子を受胎して、私の看病をすることができなくなった。
そして、私の母が、突然婚約することになった。
にょかん長としては、無理(なこ)だから、特別待遇を用意した、と
みやが言っていた。
私は、眠り続けた。
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