朝食。
残りでした。
おけいが闘病中は、ベビーベッド周辺に囲いを作って、
光から避けて寝かされていた。
一寸も動けなかった。
まりこちゃんと、らんこちゃんが、同時に亡くなったと聞いたが、
離宮の廊下を、私と父が歩いているのを目撃した人がいた。
父に話を聞くと、頭を大けがして、重度障害になると思うと、
聞いたと言って、華麗のボンボンと大旦那様が、お見舞いに来た。
前のけいとは、全然違うから、酷い状態で、見たらショックを受けるから、
おけいとは、会わないほうが良いと言っていた。
もうお別れやで。と父は、ボンボンに言っていた。
ボンボンがバラの花をお見舞いに持ってきてくれた。
ボンボンが泣いて、入り口近くから、
手を伸ばし、バラを渡そうとしてくれた。
おけいは、ボンボンに、少し手をバイバイした。
意識不明重体だったが、耳は聞こえていて、不思議な状態だった。
おけいと、まりこ様が病院で処置される前週位に、
ボンボンの家で、2号さんが暴漢に襲われて亡くなった。
その時、託児で2号さんにおけいは預かってもらっていた。
青酸化合物を注射されたことによる死だった。
2号さんの息子は、施設に入れられることになった。
周囲で死人が増えて、くろうどの会合で、身の危険が及ぶから、
会合を無くそうという話になった。
おけいの父の私財を流用して、金を受け取ったため、
現う族に付く、くろうども現れた。
希望は、マスカット国くらいだった。
マスカット国の王様は、中国で預けているラクダが心配で、
一時大陸に戻っていった。
すぐに日本に戻ってきて、おけいの父の家に、10年くらい
駐在所が置かれていた。
おけいの家は、何カ所もあるから、怪我をして看病されていたのが、
多分、むこだったかな、という記憶がある。
違法占拠されて、宗教と、党、銀行による、違法開発は、
新聞記事は公共機関側に付いた記事だった。
登記簿上、法律では、おけい家が勝つはずが、
犯罪に、沢山巻き込んだ人たちを助けると言って、
訴追がされないまま、数十年がたつ。
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