おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

残りと、野菜炒めでした。
シェークも付けました。


マスカット国の一行は、魔術ができた。
誘拐被害以降、毎夜、悪夢を見て、夜泣きがひどい私に、悪魔が付いていると言って、
図を、太子が書いて、まじないを唱えると、
その日の夜から、私は夜泣きをしなくなった。
マスカットのまじないの効果に驚いた、華麗家の2号さんは、
親戚や同輩で、悩みがある人たちを10人くらい集めて、
王様一行にまじないをしてもらっていた。
華麗家の2号さんは、みやうちで、2号さんとあだ名をつけられて、呼ばれた。
大旦那様は、いつも24金のカフスと、ピン、ループを身に着けていて、
色が他の人と違った。
おけいも大旦那様には、特別VIP対応でいつも対応した。
大旦那様の妻もパーティの被害者だった。
大旦那様の薬莢は他の、薬莢と違っていて、工芸品のようだった。
のちに、撃ち合いで亡くなった際の薬莢を形見に父が家に持ち帰っていた。
マスカット国の一行は、ラクダの様子を見に、中国の港にたまに戻っていた。
離宮の父の部屋に、電信文が来て、ラクダを入国させてほしいと、

マスカット王様がご所望したので、特例で、王のラクダは、輸入する形で、

日本に初めて入国した。
マスカット王一行の尾っぽに興味があった、2号さんは、
いつも3人と一緒に入浴していた。
マスカット王の規律は厳しくて、2号さんは、小学生ぐらいに見えたから、
絶対に、幼児には手を出さないことになっているし、
数年性交渉をしていないから、と王は、2号さんの申し出を断っていた。
私は、父が結婚をする前から、結婚には猛反対をしていた。
もっと普通の女性が良かったからだ。
父と妹みやが新婚旅行に行った際、妹みやは妊娠6か月くらいだった。
私の父はおしもの具合が当時悪化していた。
たまが真っ黒になっていた。
乞食で誘拐犯のきよちゃんのマッサージ店に行ったときに、
挿入されて以来、たまが黒くなったことに父は悩んでいた。
男性機能が失われているから、あの男性は、
私とは血縁関係がないと、言い切ることができる。


脳挫傷から回復しはじめて、ベッドのテントがなくなった。
薄い皮が露出していた脳にはり始めたのだ。
私は、ベッドに、テントがある時には、目は全く見えなかった。
山から、今の戸籍では、祖母に当たる人が、来たので、
昔風の普通の布団に寝かされていた。
父の全国の金融機関にあった私財は、中国大使館経由で、
中国共産党へ送金された。
核実験が盛んにおこなわれ始めた。
突然、須磨の山の土が削り取られた。
最新鋭のベルトコンベヤーが、須磨の父の名義の土地から、
切り出されはじめた。
ひょうごによる、違法没収私財の違法開発の始まりだった。