おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

豆腐煮と、残りでした。
Qちゃんは、まだ浅いです。



誘拐されてしばらくは、私は、日本にいた。
まりこちゃんと、私を処置した、大学医学部附属病院医師の家が、
アジトになっていた。
この医師は、病院を懲戒免職される前に、
ちょん籍を取得して、ちょん籍で医師免許を保持したまま、
日本戸籍で、医師免許を失ったことに、
党本部系の国が事務処理をしたので、医師免許は保持したままだった。
10代くらいの若い柔らかい看護婦さんに、私は、ずっと子守をしてもらっていた。
お姉さんには、べたべたに甘えていた。
皆に褒めてもらえていた、みどりの豊かな、
私の髪の毛は、叩きつけ被害で、全部抜け落ちたので、男児みたいだった。
私は、常時、頭蓋骨が腫れて、倦怠感があった。
アジトには、きよちゃんがなぜか出入りしていた。
赤の拠点となっていた。
この大学医学部附属病院医師は、借金取りに追われていた。
借金取りと言い争いをした元医師は、借金取りを殺してしまった。
きよちゃんが中身を丹念に絞り出して、
人間凧みたいに串を刺して、皮部分の組織だけ、

干ぼしをしていた。

3本くらい人間凧の干物が元医師の家の庭には干してあった。
きよちゃんは、性風俗業にも従事していたから、
大学医学部附属病院医師らとは、知り合いで、関係をすぐに持つので、
コロコロ子どもを産んでいた。
きよちゃんと、元医師の間の、息子さんと娘さんも生まれていた。
父が、前に誘拐された時のアジトを思いついて、一度、家族に私は、発見されて、
家に戻された。
2号さんは、暴漢に襲われて、亡くなっていたので、父の仕事中に、
私は預かってもらうところがなかった。
配備されていたから、助産師経営の託児には、預かってもらえなかった。
きよちゃんに紹介された、しんかいち界隈の街娼や、高級クラブの女が出入りする、
託児所に短期間私は、預けられることになった。
このしんかいち界隈の託児所では、爬虫類と子供がともに飼育されていた。