おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

シェークと、プリンと、豚キムチと、米でした。
シェークに牛乳を使ったところ、気味悪い感じになりました。



大学医学部附属病院元医師は、日本から脱出する時に、
おけいが使えるから、おけいを連れ去ったと話していた。
出入国の時に、赤ん坊を連れていたら、配備されているから、
入国しやすいと言っていた。
逆じゃないのかと思ったが、現実、大学医学部附属病院医師の言うとおりだった。
大学医学部附属病院元医師は、朝鮮に渡り、
博打場と、幼児売買を経営していた。
食器棚の中に、赤ん坊が入っていて、
お手伝いの女性が、邪魔だから、処分して、と
大学医学部附属病院元医師に、言った。
すると、大学医学部附属病院元医師がおけいに白い粉を振りかけた。
これで、死ぬと元医師が言った。
おけいは、粉を吹きかけられて、咳き込んで、少し、起きた。
日本で、大学医学部附属病院元医師と、きよちゃんとの間に出来た息子と娘が
5,6歳に成長していた。
食器棚の中に、置いていたぼくのゼリーがないよ、
お前、ぼくのゼリーを食べただろう!と
大学医学部附属病院元医師の息子と娘がゼリー争いで、
大げんかをして殴り合いをしていた。
うるさいから、あくびをして、私は、食器棚から、ひょっこり歩いて出た。
時は、1960年代後半~1970年代になっていた。
私は、寝たり起きたりを繰り返した。