おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

バラ寿司と、昨日の残りでした。
プリンも食べました。



朝鮮から、中国へは、きよちゃんと、元大学医学部附属病院医師と、
歩くことができる子供は歩きで、国境を目指した。
冷戦時代は、朝鮮と、中国国境付近で、核実験が、何度も行われていて、
死の森、という立ち入り禁止区域の森を抜けて、中国にたどり着いた。
おけいは、きよちゃんの羽織物の中に入って、きよちゃんの
手の上に乗って、国境を移動した。
手乗り赤ちゃんだ、ときよちゃんが笑っていった。
まぁくんも一緒に国境を渡ったと思う。
まぁくんは歩いて国境を渡っていた。
まぁくんは、きよちゃんが殺した上物の息子だった。
まぁくんのママの先祖は、
維新前は、御小姓の身分の先祖がいたし、先祖から受け継ぐ土地があった。
土地は、まぁ君のママの父母が亡くなった後、共産党系の
現三井住友行が売った、とおっちゃんが話をしていた。
あいつを殺した責任を取って、育てる、ときよちゃんは言っていたが、
まぁ君も上物だったから、若衆にして、金にするとも聞いた。
まぁくんは、5,6歳の体つきに成長していた。
まぁくんと、おけいは、2歳くらい実年齢が違っていた。
実年齢では、おけいの方が、少し年上だった。
おけいの成長のずれが元大学医学部附属病院医師によって、起こっていた。
中国に入ると、元大学医学部附属病院医師の支援者から
金を大量に受け取っていた。
私の父から、こうぞくが強奪した金が北京に送金されていた。
中国では、元大学医学部附属病院医師は功績者扱いだった。