おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

スコーンでした。
シチューオンライスも食べました。
夜も同じ献立になります。



中国は、父が新婚旅行中~若奥様が亡くなる直前に、
若奥様とぼくちゃんと、華麗のご子息と私の人で、来たことがあった。
う族に出入りしている一家には、中国パンダ鑑賞チケットが回ってきた。
う族の子弟で、55歳前後の子にとっては、パンダは当たり前だった。
今よりも、大陸と、日本は、出入りが楽で船ですぐ中国に着いた。
4人で、色んな所に行った。
万博も開催前だったかな、特別なところに入ったことが、あった。
離宮の近所の旧族階層の子弟には、ま~(真)という子が多く、
ぼくちゃんは、一般の名前で、本名は忘れてしまったが、
華麗のご子息もまぁ君と似た名前で、その子のことは、まぁちゅんと、
私があだ名をつけて愛称で呼んでいた。
今回の北京訪問は、死線を抜けた前途が見えない旅だった。
拉致加害者とともに、死の森を抜けて、私は、北京に来た。
北京滞在中は、中国共産党支援者からの金が出た。
金銭的余裕ができた。
きよちゃんと、モンスター元大学医学部附属病院医師の一行と、拉致被害児童らは、
公園によく遊びに行っていた。
きよちゃんが、今回の御褒美(私の父への私財を盗み取った)に、
世界一周旅行がしたい、と幹部の人に希望を言った、
すると、私たち拉致被害者も含めて、
エジプト~シルクロード、ギリシアなど共産党勢力が強いところに、
世界一周旅行に、全員で、行くことになった。