おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

残りでした。

ズボンが破れました。Ω\ζ°)チーン
通院しました。
脂肪肝が進んでいました。
半年後、数値が下がらなかったら、投薬治療になります。



ソ連軍と、中国軍の衝突がはじまった。
商人が多かったので、街で暮らす人々は、爆弾の音がしている時は、
外出していなかった。
衝突が収まると、外に出ていた。
爆弾の爆発音が鳴り響いていた。
衝突前後に、おけいは、仲良しの2人の赤ちゃんと一緒に、
昏睡状態にされていた。
即身仏になると思うよ。と元大学病院医師が言っていた。
きよちゃんと、元大学病院医師は喧嘩をしていた。
せっかく商売が順調にいき始めたと思ったら、あんたが全部壊しちまうんだよ、
日本でも朝鮮でもそうだったよ、せっかく堅気になろうと、一生懸命あたいが頑張ってたのに、全部ぶちこしちまうんだよ、ときよちゃんが元大学病院医師をなじっていた。
商人に暴力を振るったから、お隣のおじさんに譲ってもらうしかないんだよ、
みんな、あんたのせいだよ、ときよちゃんが言った。
元大学病院医師は、全然作業をしなかった。
元大学病院医師が、ソ連と中国の衝突が始まる前にいなくなっていた。
数日爆撃音が続いた。
おけいは、普通の爆弾とは違う、衝撃波で目覚めた。
あたりは、ライトに照らされたように、光っていた。
爆弾の閃光で、2、3日夜中、昼よりも明るかった。
ダマンスキー島の庁舎の中で、閃光で目覚めた赤ちゃんたちは、
まぁくんが光が当たらない位置に移動してくれて無事だった。
おっちゃんは、使えなかった。まぁくんと、きよちゃんが一家の頼みだった。
窓に布を貼るように、きよちゃんに頼んで、はってもらった。
戦の備えなのじゃー、おばさま、水をためて、入れ物に全部入れるのよ、
お風呂にも水をはって、2,3週間は助けが来ないわよ。と私は言った。
戦の時の女子の心得をDNAが覚えていたのだ。
きよちゃんは、言ったら動いてくれるので、その点、使えるし、
暴力と極端さがなかったら、美人だし、うちの一族よりも才能があったと思う。