おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

残りでした。
泡立ち珈琲。
チョコパイはあんこが少ないと思いました。
セブンの菓子パンのほうが良かったかもしれません。
名物を食した翌朝。


父は、獄門医師に誘われて、ついついふにゃふにゃとなったので、
獣の道に入りかけたそうだ。
我に返って、やめたと言っていた。
また獄門医師の関係と仕事関係の
釣り仲間ができて、よく休日は、釣りに出かけていた。
釣りの際、仲良くしていて急にウニを背中につけられて、
刺し傷になったり、くらげにあったったりと、
相手さんに獄門の性がでるみたいで、苦しんでいた。
このころから、酒の量が増え、喫煙量も増えていた。
一人称がボクから、ワシに変わった。
私は、父の副流煙で苦しんだ。
私が出生前後に極楽から、仕事を始めた。
おばちゃんが出奔したので、国に帰る算段を付けたのに、
他の子を妊娠していて、跡取りができなかったそうだ。
朝鮮人医師とトルコとの会話のヒントで、父は、運送業をはじめていた。
臍の緒の件と、跡取りの件で、叔母と祖母が家にたまに来た。
私は、父の親族が来るとき、顔を出したら行けないことになっていて、
顔の怪我以降、生存に必死で、飛べなくなっていたので、
来たと言うことしかわからない。
ただ、私が一家の中では一番の血統であることは確かである。
また小箱の子が生存していて、おのごだったら、
正当な後継者となる。小柄でかわいい方の子だってイメージがわいてくる。
私は、元兄とは逆、
金よりも愛を選ぶというテーマで父が、国からの判断を受けたと踏んでいる。
このころから援助が半分くらいになり、
家計は苦しくなったが、姉は私立幼稚園に通い始めた。
父は姉を可愛がっていた。
草むらの君とは近い血筋だったから、面影がかなりあったからだ。
元兄がおやじと姉が関係あると言っていたり、
私の目が盲目だと言ったり、近所で、
身内をとことん攻めて父を追い込んだのもこの頃だった。
トルコのおばちゃんが、近所に引っ越してきた。
しょっちゅうここに来てるから、近所がいいって思ってさ、と言っていた。
おばちゃんは、私がハウスから、巣立ったのちくらいから、
2億円あった借金を完済し、大金持ちになっていた。
幼稚園に入園してから、ママ友付き合いで、公園でお弁当を持って集まるお供で、
私は、付いていった。
トルコのおばちゃんの人脈のママが多かった。
解放の人らかもしれなかった。
そこで寝ていた時に、医師の集団の子弟に私は、暴力を受けた。
今でもその位置が痛み、苦しむ。
私は、自身が母となったときには、ママ友付き合いは一切しないし、
床に転ばせる時にも、人を呼ばなかった。
自身の離婚訴訟では、地域住民と一切をかかわりを持たない点について、
相手が主張してきたが、一切かかわりを持たないことはなかったので、
相手が負けたが、離婚した。


ミステリー賞に応募できるかなー。キャー。( ^ω^)・・・