昼、夜ごはん。
昼。
ひじきを焚きました。
シェークは再作成しました。
干し椎茸の旨煮を作りました。
洗いを丁寧にしました。
いつもよりも、透明な汁となりました。
父は、私が、いざり這をするようになったころに、
いつまでもやもめでは、と言われて、太子の末の妹と婚約をした。
太子の一家が、にょかんをまた妊娠させた話などで旧家の会合で盛り上がっていた。
父は、普通のおっさんの外見だが、
サラブレだったので、太子を廃して、父の代がわりの話が具体化していった。
みやうちで、私は、にょかんとなった母に連れられて、見合いをしていた。
でも、私は、まりこちゃんのように、母の期待に応えられなかった。
まりこちゃんは、男児がいると、自分から近寄って行って、
キッスをしていた。
わたしは、みやうちにいた同じくらいの年頃の子が近づいてきた時に、
思わず、手を振り払ってしまったのだ。
まりこちゃんを見習って、殿方に積極的に近づくのよ、
このグズ!と母から、私は言われていた。
太っている私は、痩せた母には、グズで間抜けに見えるようだった。
母のランクでは、だれか強い人に媚びを売って、生き上がって抜いていくことが
当然であり、おなごの生きる道だったと思うのだが、
私は、母とは、違っていることに、私の母親は気が付かなかったのだ。
なので、私は、そんなことしなくてもいいのよ、私は、ママとは違うのよ、
と、母に言ってやった。
すると、母は怒って、平手打ちをしてきた。
みやうちでは、モルモットの飼育をしていた。
このモルモットも、パーティでは、小道具だった。
みやが特別なしつけをモルモットにしていた。
みやうちでまりこちゃんのママは、
大陸で経験した壮絶な話をしていた。
みんな固唾をのんで、まりこママの話を聞いた。
中国で起きた革命の話は壮絶で、
まり子ちゃんのママが、あれを食料にして、生き抜いた
殿方の相手をする時に、すべて飲み干していた、
すると、ここまで来ることができた、とみんなに話をしていた。
だから、まりこちゃんには、あれを美容液だと思って、飲み干すことを
しつけしていると言っていた。
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