おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

昼。
残りと、ホットサンドでした。

夜。
そうめんでした。
高野豆腐が終わりました。

長女が今日から、温泉に行くみたいです。
大江戸温泉物語とは違うところだそうです。
普通電車で、片道4時間以内に、行きつけることに気が付くと、
頻繁にいくかもしれません。
友達が東京芸大の建築などの超難関校を受けるみたいで、
受かると、お別れになるかもしれないみたいです。



おきさきは、入内前に、麦踏作業が辛くて、
ひとかいのおじさんに、あれをやればよいだけだから、楽だし、楽しいと
言われて、日本に渡ってきた。

入内決定の発表前週くらいに、お屋敷に引っ越して、こんやく会見となった。

背景に大陸があったことから、赤系外国人が、みやうちに沢山入ってきた。
旧家が入内しないのは、外国人による旧家粛正、むこの変があったからだった。
私の母は、穴が開いたコインに紐をくくったもので、
毎日訪問してくる、母の兄から洗脳を受けていた。


父が不在の時に、兄が母を訪ねてきた。
兄が母に告白し始め、君を渡したくないんだ、などと言っているのも
私は聞いていた。
誰かが、上手くいってることが面白くないという、ひにん気質丸出し、
やはり成り上がりものと言われても仕方がない、母の兄であった。
この母の兄が破産した時に、私は母に抱かれて、兄の家こと父名義の家を訪ねた。
そこで、兄の実母を名乗る婆さんが猿芝居を打ち始めた。
旦那様に一度お情けを頂戴した、旦那様の書生や、下足番と、
婆さんが関係を持っていたなどの、兄の出生の秘密の暴露であった。
太郎と、その婆さんが、抱き合って泣いていた。
私は、疲れたので、寝てしまった。
私は、弁護士から、薬を注射された。
金融屋と、弁護士が、私の口の中に、犬と書いた石を入れた。
中国の習慣で、死んだ時に、
口の中に石を入れるという説明を弁護士が、太郎にしていた。
私は、石を飲み込んでしまった。
体幹部に妙な突起があるので、産婆さんのところへ父に連れていかれた。
マッサージでこの犬と書いた石は、肛門から排出された。


誘拐犯から私が救出されて、すぐ位から、みやうちに、たまに行くことになった。
おむこさん探しよ、と母が私に言った。
母は、太子の弟みやにずっと付いていた。
生涯をささげていた。
私が出生する前後、パーティ活動で、新しい命が産まれていた。
みやうちで、薪を焚いて、族で暖炉を見て、皆で黙って燃える火を、
子どもたちも、大人も全員揃ってで見た。
団らんだった。
私は、太っていて、抱き心地が良い乳児だった。
バカンスで来ていた弟みやにお人形代わりとして、
抱っこされて外出することになった。
誘拐事件被害のことは、薄れていった。
たまに、誘拐犯のおばさんが、入り込んで、もう何日も食べてないんだようと、
父のところを訪問することもあった。
みやうちは、外国人が増えてきた。
むこの裏山には、大陸からの密航船で来た無戸籍児が入り込んで、追剥や、
暴力行動をするので、父たちは、追い払うのに必死だった。
無戸籍児童らの背景に、大陸がいて、彼らは、犯罪実行犯の一味だった。
この無戸籍児らの一家から、
私の一家が現在に至るまで略奪を受けている背景は
むこでうまれた。
むこみやうちでの、パーティは、乱痴気騒ぎだった。
ベビーたちは、特大のベビーベッドに入れられていた。
大人たちは、芸者を呼んで三味線や小唄、ゲーム、仮装パーティー、
キスゲームなどで遊んでいた。
おきさき様は、資金難で、金融業者に頼るようになった。
先の先のおきさき様の宝飾品が質屋に流れた。
外国人おきさき様は、眉目秀麗で、優しく、子どもたちにも大人気だった。
しかし、金銭面での浪費、経理に弱い点で、国の象徴になるということは、
厳しかったのではないか、とおけいは、思っている。
わたくしは、ただの女よ、と言っていたのを覚えている。