おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

ホットサンドでした。
玉ねぎのマリネを昨晩作りました。
玉ねぎに砂糖を揉みこんで、さらしたあと、
酢漬けにすると良いと、移動図書館で借りた本に書いてあったので、
その通りにすると、店味になりました。



まりこちゃんの処置は少し時間がかかった。
まりこちゃんは、肩関節をいったん外して、
再縫合する実験材料として使われたと医師が言っていた。
ママ2人と、私で、手術室の前でずっと待っていた。
まりこちゃんの処置は、完全で、ただ寝ているみたいに見える遺体で、
洋服も着せなおされて、妙に美しかった。
私のママは、まりこちゃんのママに付き添って、帰ってしまった。
私は、まりこちゃんが処置された手術室に入れられた。
断種手術を行う、と言われた。
この子は、みやさまからの特別なご赦免で、
生かすことにする、でも異常児だから、断種手術をする、
と大学病院の医師が言った。
下腹部の洋服を下ろされて、こそばゆい私が、大笑いしたところ、
大柄なほうの医師が、私に笑い返した。
この子(私)は、普通の子だよ、やらないほうが良いよ、と言った。
私は、手術台の上で寝てしまった。
その後、一般病室に移されて、ベッドで寝ていた。
父が急いで迎えに来た。
みやうちは、まりこちゃんが処分されたことで大騒ぎだった。
私は、みやうちの、母の一家に、亡くなったことにされた。
まりこちゃんと、るりこ(私の源氏名、らんこ、せいこの名もあった)の

合同葬儀が行われた。

葬儀場は、花でたくさん盛られていたと、母が父の部屋に来て言った。
ベッドに私が起きて立っているのを見た母は、顔色を変えて、
なんで、あんたがここにいるのよ、今更困るのよ、
あんたなんか、大嫌い、あんたみたいな子、いなくなれ!と私に言って、
私を床にたたきつけた。
私は、脳挫傷を負い、病院に運ばれたが、乳幼児の手当の経験が少ない医師から、
遅れです、と言われ、返された。
当時の医療施設は、医療施設に行くと殺されるか、障害を負うことがあった。
治療もろくにされない場合もあった。
軍隊の時代がまだ残っていた。
私は、母にたたきつけ被害に遭ってから、血の臭いにおいと、
体の冷えでまったく身動きができなくなっていた。
父が故郷から、親戚のお祖母さんと、お姉さんを呼び寄せた。
戦の時の手当の仕方を武家の子女は、教え込まれていて、
傷の独自配合の塗り薬を頭に塗られて、ずっと水平に寝かされていた。
闘病中、私は、生後3か月くらいの赤ちゃんの姿に戻っていった。
一時、意識を戻した私は、呪いをかけた。
母が一生苦しむように、出生後冷遇した父が困るように、と。
呪いの言葉を言っている私の上に黒い雷雲が出た。
父は恐れおののいた。
ヒニンをせずに安易に挟み込んだ父母が一生苦しむように、
と私はまた意識を失った。
その日、雷と大雨が離宮の近辺に降った。
龍が雨雲の中を暴れ動いていた。
あの位置に属するぞくは、古代能力があるから、
恐れおののかれるゆえんで、ぞくになったのであって、
私は敵が水子で出した子だったが、
脳挫傷で受傷する前は、能力が父をしのいでいて、
そのことも可愛がられなかった理由だったと思っている。