おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

昼。
厚揚げ炒めを作りました。
炊飯しました。
夜も同じ献立になります。



今の戸籍上の母には、取り巻きがたくさんついていた。
旧三井系の金融業者が、親衛隊を付けていますから、と
父に言っていた。
母は、常時監視されていた。
中川元医師が、母の守役で、注射を全員に回し打ちしていた。
家には、美智子上皇后の親衛隊として朝鮮から入国し帰化した、
兵庫県警の警察官らが、昼間は来て、
父の家を土足で踏み荒らしていた。
兵庫県警官らは、賭博をいつもしていて、
山崎という金融業者が、その場で、警察官に借用書を書いて、
現金を用意した。
金融業者に警察官がはめられていた。
兵庫県警は、金融業者にどっぷりはまっていたので、
金融業者の言いなりで動いていた。
私の、今の母の兄は父の妹の夫だった時代があった。
兵庫を視察に来た時に、パーティに参加しませんか?と、
私の叔母を誘った。
すると、叔母がいきなり、倒錯パーティーに参加し始めて、
乱交、乱行をはじめた。
宮中、高級クラブ、街の街娼たちも集まって、
父が不在の際に、兵庫県警、在日外国人、共産党系金融業者、その客らで
毎日楽しんでいた。
この時期に、母親不詳で生まれた子どもはたくさんいた。
児童養護施設は、母親不詳のパーティで誕生した子どもであふれていた。
この子どもたちは、華麗家の若奥様が作った、幼稚園で預かられたと、
大人たちの会話で、聞いた。
若奥様の幼稚園は、在日外国人らと、街娼らが産んだ庶子の
養育の場となった。
父の家から、兵庫県警が持ち出した私財と、現金は、須磨長田警察署に集められ、
警察官らに配分された。
そして、いまだに強盗被害金は、正当な相続人である、私に対しては、
兵庫県から返却されないまま50年経過しようとしている。