おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

ピザパンでした。
8個作って、半分食べました。
夜も同じ献立です。



神戸駅近くのアパートでは、客が沢山来ていた。
スケの人たちが、集っているだけではなくて、
ベビーベッドの横で、客を取っている女性もいた。
上物の子が多かったから、スケがアジトに帰ってくるところを
つけてきて、客となる人もいた。
託児もやっていた。
おけいは、このアパートの中で、出産を何度か見た。
神戸大学病院医師らだけではなくて、大阪大学医学部の医師らが
上客だった。
中でも、アルビノの女性にはまっている医師が、
何人も私生児を出産させていた。
アルビノ萌の医師は、おけいの父の土地に、薬剤を散布した
薬剤を開発した医師だった。
阪大医師は、きよちゃんの旦那とよく似た体つきだったので、
移住者だったと思う。
兵庫に白い乳児が増えた。
白い乳児たちは、両親不明になっていたが、のちに養子に出されたと、
連れ去り加害者グループの人たちが言っていた。
おけいの今の戸籍の母も、なぜかたまに、客を取っていた。
気に入った人と合わせるときよちゃんが言っていたのと、
きよちゃんは、
あんたも自立して働きなよ、ここでの生活費を稼いでもらうよ、と
今の戸籍上の母は、言われていた。
誘拐先で、この母は、妊娠して、私は、出来た時と、
出産の時をベビーベッドの上で目撃した。
今の戸籍上の母が、小さい子を産むのにかなり苦労していて、
きよちゃんがあっこに手を入れたくないと言い出して、
違う女性が出産介助していた。
子どもができて、出るまでの期間と考えると、
今の母と私は、誘拐されて10か月は、このアジトにいたと思う。
アジトを転々とした私は、宗教が産まれる瞬間もまた、目撃していた。
きょちゃんが教祖となって、最初、まじないから始まった、
今は政党の基礎となった、組織の始まりは、
私の家からの略奪資金が元となっている。