おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

残りでした。
紫コーデです。



今の戸籍上の母が本当の母と、勘違いして、以降40年以上
生きることになった私。
母も日本国に戸籍を奪われた被害者だった。
母も本来は、公爵令嬢だったから、
今の日本政府の考えとは逆の位置にいたから、
落とされたと私は、思っている。
神戸駅近くにあったスケらが集うアパートで託児で預けられている子供たちに、
しんいちと、よど号ハイジャック事件の犯人の甥という元無戸籍児童が、
暴力を振るっていた。
私は、首の後ろに、爪楊枝を刺したままにされて、腕をひねり上げられるのと、
首を徹底的に攻撃された。
しんいちら、加虐児童に反抗的な態度を取った、しのちゃんという男児は、
催眠術を掛けられた母親から、熱湯を足にかけられて、
大やけどを負った。
あるりえちゃんもこのアパートに託児されていた。
りえちゃんは、手の骨を折られていた。
りえちゃんの父は、李王朝の末裔だった。
朝鮮から拉致被害に遭って、日本で工作員として養育された後、
日本で結婚してりえちゃんが産まれて、警察官になり、
当時、りえちゃんの父は、違法開発業者の捜査中に、
行方不明となっていた。
母が、神戸近くのアパートで、子を産んだ前後に、
私は、囲炉裏の鍵様のもので、母に顔に大きなけがを負わされた。
母の、覚せい剤の中毒症状は末期で、この時期に共産党員の暴力で負った、
精神的後遺症は、終生、公爵令嬢の母の人生に影を落とした。
私が、この時に追った傷は、交通事故被害児童よりもひどく、
中まで露出していたので、これでもう、皇族方のように、人前に出ることができない
、この子は、元には戻れない、写真撮影しても見える傷だと、
神戸大学病院元医師の中川が嬉々として、きよちゃんと話していた。
私が、今の母に大きな傷をつけられた時期、
きよちゃんは、中川医師とできていた。
入籍もしていた。
きよちゃんとの入籍前後に、中川は、医師免許を違う名前で取得した。
私は、また神戸大学病院特別病室に預けられることになった。
因みに、私が負った顔の傷は、最初は、アイコンくらいだった。
今は、よく見ればわかるけど、ほかの女性は、しわしみで、みんなドッコイ、
なものだから、突っ込まれることはないが
若い時には、凝視してくる人もいたし、撮影される時もあるので、
父の資産を横領せしめている金のおかげで、
中国~日本共産党員がまだ力を持っていることは確かだ。