おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

ポテトサラダと、煮芋と、パンの残りでした。
パンは、塩水イースト粉の4つパンの中に
自家製餡を入れ焼いたものです。
餡餅っぽい味です。
失敗です。
でも、2☆彡です。
夜も同じ献立です。



大旦那様が股間を狙い撃ちした理由は、大陸から入ってきた
帰化人と、違法滞在者が須磨一帯の少女幼女を暴行していたからだった。
手引きの少女が、誘い込んで、撃ち殺された須磨長田警察関係者が
暴行するという手口に、大旦那様は憤っていたからだ。
おけいの父の妹夫婦は、ヘルマン屋敷に住んでいた。
ヘルマンでは、画商が来て、旧華族に対して、
入札で売買を行っていた。
ゴッホと、レンブラント現物は、ヘルマンで行方不明になっている。
ヘルマン屋敷に住んでいたおけいのおっじは、
シェパード犬を連れて、肉を与えて調教している外国人に、
脅されて、屋敷を明け渡す羽目になった。
裁判所の職員と、神戸市職員らに訴えたが、
違法占有者に脅されたと言って、自治体は動かなかった。
ヘルマン屋敷は、内部はからくり構造になっていた。
マジックミラーがあったり、ロシア風であって、
そうでもないという面白い構造だった。
最後におけいがヘルマンを訪ねたのは、多分昭和53年頃だった。
大型犬を警備員が5,6人歩いていて
異様な雰囲気だった。
オオタニ屋敷は、宗教団体の集会に、大旦那様の奥様を
新聞勧誘員が連れてきた時に、団体に、土地屋敷を寄付したことと、
おけいのヘルマンおっじが、遠い親戚だということで、
市場価格の5倍でオオタニ屋敷を買い取ったことで、
大旦那様の不動産部分は、解体されてしまった。
奥様は、宗教団体で、権力を振るっていて、
おけいは、拉致されているときに、この奥様から、
暴力を受けたし、悪い子が!とみんなの前で罵倒されたので、
奥様に対して、良い印象は持っていない。
ただ大旦那様のことは愛している。
大旦那様が亡くなっておらず、おけいも拉致被害に遭わなければ、
多分若奥様になっていたからだ。
少し先祖が同じだったため、住民票も同じ時期がある記憶もあるし、
養い子として、実子と同じように愛しんでくださったことは
おけい生涯の思い出である。