おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食×2。

昨日。
イトメンサラダ麺と、シェークでした。

今日もイトメンでした。
レンジでチンした鶏むね肉を載せました。
鶏むね肉は、レンジで、チンしすぎて、料理の転用が難しいです。
今日はジャスミン茶でした。



きよちゃんは、お姉ちゃんの赤ちゃんが生まれた頃は、本性が出ていて、

悪口を大声で言いまわっていた。

お姉ちゃんの赤ちゃんと、きよちゃんは似ていた。
きよちゃんは、穴が開いている状態だから、自分が産んだことが分からないんだよ、
と警察におけいの行方を教えてもらった父が言っていた。
小学生のお姉ちゃんが産むはずがないと、私の父は言っていたが、
おけいは、元神戸大学病院医師のお姉ちゃんの父が、
手を突っ込むところを何度も目撃していたし、赤ちゃんがトイレで見つかる直前に、
お腹が痛いと、お姉ちゃんが言ってトイレに行ったので、
お姉ちゃんが娩出したことに間違いないと思っている。
兵庫県職員と、公務員以外にも、医学部学生も顧客で来ていた。
児童の子の子宮摘出手術の思想が神戸大学病院医師らの中で広まっていて、
学生が、おっちゃんの家で、児童を大けがさせたことなども
印象深い。
大人は、2千円で、幼児は、無料か、ガム一個、最後らへんは、50円と、
値段が上がっていった。
労使交渉するキッズがいたからだった。
まぁちゅんの父上は、狩猟の帰り道、須磨長田警察官の誤射で命を落とした。
父上は、狩猟の帰路、大腿部を、警官に撃ち抜かれて、猟銃で、応戦して、
大腿部以外は、無傷だったが、搬送先の病院で亡くなった。
警察官らと、暴力団のコラボのヒットマンに狙われた
大旦那様は、あいつらの急所をすべて打ち抜いて殺した。
伝説の銃撃戦だった。
おけいが、最後お見舞いに行ったときには、
前妻の従姉妹にあたる後妻さんとの間に出来た女児と、新しい2号さんとの間に出来た女児と、まぁちゅんが、
大旦那様を囲って泣いていた。
その時には生きていたので、今の医療だったら助かっていたと思っている。
警察官に、暴力団も加勢したから、事件にはなっていない。
日本猟銃協会?だったけ、の理事長だけある最期だった。
おけいが外国へ拉致被害に遭う前の銃撃戦だった。
で、元神戸大学病院医師の家に、後妻さんと、大旦那様との間に出来た
女児がもらわれてきた。
女児は、うりをやるタイプじゃなかったので、
部屋でうつむいて泣いていただけだった。
おっちゃんの子どもを産ませる予定だったのか、
おっちゃんの野望は確かではない。
おけいよりも10歳以上、年上の見た目になっていた。
大旦那様の、後妻さんが、宗教の信者を養うために、大旦那様の土地屋敷を
全部売り払ってしまったことで、
芦屋邸宅、住吉邸宅などが全部人手に渡ってしまったため、
この場末に流れ着いたお嬢さんだった。