おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

鰯フライと、茹でブロッコリーと、トマト、オレンジ、などでした。
夜も同じ献立です。

パズルを撮影し忘れました。💦
ここから先は、難しいって感じます。
1/4で返品不可みたいな製造?
さて、帰国後、めざめたのち、国内の、領地を父らと視察しまわりました。
武家屋敷街が、住友行ら銀行に、不当に建て壊し被害に遭っているので、
武家は、敷地内に仮設した小屋で生活をしていました。
街で、大八車を引いている、松平公の大八車に入れられて、数か月行方不明となったのも
この時期です。
バツイチの4歳くらいの女児など、王家には、不要な存在だったようです。
松平公が、作者を養女にするために千代田区に相談したことが、
発見のきっかけとなっています。
誕生から、一度も両親から可愛がられなかったことを思い出します。--
ちぎり絵は、領地視察の際に、父らと、見た美しい日本の風景と、魔物を描いています。
東京事変後は、アトリエに残した作品群は、
プロパガンダに利用され、歴史が変えられているので、山下や、外国人の絵に
なってしまっています。
事変ご、外国人が住みついたため、離宮に拠点を移した後、外国人が棲みつき始め、
有名な打ちこわし事件へとつながりました。
レンブラントの作品として、紹介されている絵画は、たいしょうと、父の絵が多いです。
ちなみに、たいしょうの生没年は、違っています。
父も離宮で、絵を手すさびで、描くことがありました。
父のベッドに入り込んだ、拉致加害者の、きよこおばさんが、街で引っ掛けtた客を連れ込んで、客を取っている絵や、道端で、放尿している絵などは、父の人柄と、きよこおばさんの人柄が見事に描かれている秀逸な作品です。
治安悪化で、最恐の地区だった時代は、事変後から10年くらい続きました。
私は、宮で、海外に拉致されて以降、海外のテレビで、実家の惨状を目の当たりにしていました。
このところ、記憶がよみがえり、約60年もよく、生き延びたと考えています。--