おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

弁当、朝食。

弁当。

朝食。


父が留守中は、おばたまの世話を、いとこの草むらでの件の子に頼んでいった。
おばたまは父と別れたときは、生きていた。
2週間くらい、父は、本州を見学し、トルコ体験をした。
トルコ体験中に兄の母の尻に顔をうずめると、全然臭いがしなかったことと、
いつも仲良くしているあの子こと草むらの君の尻の臭いが臭いという話を
兄の母に話したと言っていた。
兄の母とみなと川沿いをデートしていると、
いつも尾行されていて、気味悪かったそうだ。
兄の母は負債を抱えていた。
よつ国に父は戻った。
よつ国に戻って、さっそく、2週間の体験中に見聞したことを
おばたまに報告しに上がった。
すると、お前には、絶対にあわせられない。
?子さん(おばたま)は、入院したから。とまさの子に父は、面会を断られた。
じゃあ、どこに入院しているのか、僕に教えてもらえる?と父が言うと、
だめ、面会謝絶だから、と断られた。
おばたまの件もあって、父が無くなって随分後に、
まさ一家は破産した。
でもまだ生きている。


私が、とんちゃんハウスにいる時、まさの子のおじがわざわざ訪ねてきた。
姉とおば、こと母の姉、も伴っていた。
その時に、朝鮮人医師から、7万円まさの子は受け取っていた。
私のことが気に入ったから売ってくれというと、7万円で売れたと、
朝鮮人医師がとんちゃんに話していた。
あっちでは、子どもは高く売れるから、とも言っていた。
お兄ちゃんの母を狙ったのは、人肉を育てているんだけど、
それに似た顔だったから、声をかけて、嫁にしたと医師が言った。
お兄ちゃんも食べ物として、売られることになっていたみたいだった。
このお兄ちゃんは生き残って、後年、地区では、結構有名な悪になった。
私は、高校進学で、トンちゃんハウス地区に通うことになって、
たまにお兄ちゃんがぼんやり立っているのを見た。
顔だちも良かったし、コマしで、イケメンになっていた。