おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

巻きずしでした。
米を少なめに、巻きました。

プリンを作りました。
長女が署名をもらいに来るので、作りました。
加熱しすぎかもしれない、と思いましたが、
案外、味は良かったです。


私が産まれたことをきっかけに、父は、母と入籍をした。
一族は結婚に反対していた。
母の実家は、幕末に成り上がった、英傑組だったので、
旧家の人とは、相いれなかったし、
外国人みやうちと、旧家も相いれなかったからだ。
母と母と一緒に育った書生の子どもの母の”兄”は、
兄妹ペアで、宮内では活動をしていた。
私と、母が一緒に暮らしていたのは、1年も満たなかった。
毎日派手な暮らしをしていた母の兄が破産して、差し押さえられたからだった。
差し押さえの紙が、母の兄の家の家財道具に貼られた。
土地家屋自体は、みやの近くにあった、私の父の所有物だった。
母は兄に従って、父と私の元を去った。
母は、金融屋の指示に従い、それ以降生活を送るようになったが、
たまに、私の顔を見に来ていた。
復縁の話も出ていたこともあった。
私は、一人、部屋にあるベビーベッドで、ずっと母を待っていた。
そのころ、市内で、乳幼児の失踪事件が相次いでいた。
昔は治安が悪く、死体などが道に転がっていることは当たり前だったが、
私が産まれる前後位で、死体が転がっている状態を継続していることは、
なくなっていた。
私が、父の部屋の中で一人でいると、
白くて丸い女性と、その女性にそっくりな男の子が、ほっかむりをして
家に、不法侵入してきた。

父の部屋を、二人が物色した後、鍋に入っていたおかずを、男の子が素手で食べ始めた。

何日も食べていないと言っていた。
丸い女性にコロコロ太った赤ちゃんだね、上物のお洋服だよ、と言われて、
あやしてもらった。
私は笑った。
そのまま、私は、家の外に連れ去られたのだった。
私は、女性の所属する団体のアジトに連れていかれた。
私の行方不明中は、誘拐犯の白くて丸い女性が、
近くに住んでいる乳児をさらってきて、
そのまま、手をもいで生で食べているところを見た。
今は、死体が転がっている時代ではないから、
肉食の習慣がある、女性のコミュニティでは、ひもじくなったら、
その辺に一人でいる乳幼児を誘拐してきて、
肉を食べている、という話をしていた。
女性の家の不衛生さで、私は高熱を出して、何度か生死をさまよった。
私の扱いに困った犯人グループは、私を殺さなかった。
割と、愛想が良かったから、殺しにくかったみたいだった。
みやの前にあった交番の前に犯人グループに置いて、警官に見つけてもらう方法で
親元に帰されることになったが、
警官のミスで、なぜか家に戻されずに、犯人グループの家に警官が置き去りにしないで、
と私を何度もおばさんの家に戻してしまった。
母の兄が、もう子どもを行方不明のままにしておく、と
配備していて、私は、半年くらい行方不明のままだった。