おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

朝食。

残りでした。
寿司を完食しました。



元大学病院医師は、ピカの時には、不在だった。
ソ連軍と、中国軍の小競り合いは、元大学病院医師が、心理を使って、
きよちゃんと、拉致被害児童らを狙って、やったことなのではないか、
と私は推測している。
元大学病院医師が、中国共産党の幹部を連れてくると、きよちゃんに
伝えに来た。
まぁくんは、礼装に着替えた。
わたしたち3人娘も、中国風か、韓国風、ベトナム風みたいな、
白いドレスに着替えて、幹部が来るのを待っていた。
軍の行進練習の音が響いていた。
馬が鳴く音が、した。
幹部は、かなり、短気な方だから、絶対に怒らせないように、と
先触れの中国人が、きよちゃんに言った。
その場で、銃殺刑になった人がいるから、心してかかるんだよ、
と、きよちゃんの指令を受けて、幹部をお出迎えした。
小パンダの愛称で知られていて、顔はかわいいけど、
短気で有名なあの指導者が、特殊部落民と拉致被害児童らがいる部屋に来訪したのだ。
まぁ君が門で、仰々しくお出迎えをした。
まぁくんは、御小姓の子孫だけあって、気が利いたお出迎えだった。
お気に入りの態度を幹部は出した。
そのあと、私が、幹部に、日本の官女のママから教え込まれた、
一番の礼儀でお出迎えした。
どんな教えでも役に立つもんだって思う。
りえちゃんたちと、わたしは、幹部をキッスで迎えた。
3人で心を込めて、もてなした。
性交はしなかったが、幹部がニコニコし始めて、体が温まり始めたので、
うちらは、勝ったって感じた。
小パンダ幹部が、中国に、我々が戻ることができるように、
配慮してくれることになった。
きよちゃんは、コロッケを大量に作ったり、
ダマンスキー島旧庁舎内の厨房から、プロの調理器具を持ち出した、
コック帽をかぶって、シェフみたいだった。
最後のクルミ拾いの時に、トリュフをみんなで見つけて、
トリュフ入りの人肉コロッケをきよちゃんが一人で、200個ぐらい
食べていた。
3人拉致被害者は、飲まず食わずだった。
りえちゃんの一人が、手にピカの光が当たって痛いと言い出したので、
私の父がフランスの新婚旅行で買ってきたフランス製のレースのハンカチを
りえちゃんの手に乗せてあげた。
胃が弱り切っていたので、食欲がわかず、私は、眠りに落ちた。
二人の、りえちゃんも眠った。
まぁ君が、眠りに入った赤ちゃん3人を沐浴させてくれた。
双子の生き残り、きよみ、とまぁくんは、通常のリズムで、生活していた。
拉致被害児童の中には、元大学病院医師が、投薬量を間違って、眠り続けている
赤ちゃんが一人いた。
拉致被害者は、7人から6人に減った。