おけいこの日記

ここは、日本最底辺。

昼、夜ごはん。

昼は、キャッシュバックを受け取りに行った後、
優待で、はま寿司でした。
1番席は、珍しいので、撮影しました。

夜は、蒸しパンと、残りを食べる予定です。

5月の電気ガス料金は、11千円くらいでした。
節約ができているかどうかは、分かりません。


亡き父とは、おみやの巡回を一緒にしました。
母が、仕事を優先して、おみやに付いて行ってしまい、
おけいの元から、いなくなったから、養育者がいなかったので、
私は父の職場についていっていました。
父子家庭のさきがけです。
当時は、幼稚園や保育園がなく、おけいは、父と行動を共にするか、
家で留守番をしているか、カレー一家の坊ちゃんの乳母に預かってもらっていました。
おけい以外のおみや関係の子も、庶子、サナトリウムに入っているなどで、
母親に養育能力がない子が多くて、子どもの世話をする人が不足していました。
士族の子弟の養育者不足がきっかけで、市内に園ができました。
私の実母の功績と言えば、母の出奔の話題のおかげで、
市内で園を作ることになったくらいでしょう。
カレー一家の乳母殿が市内で初の園を作りました。
土地はカレーで建物は、父の出資でした。
亡き父の巡回中で、印象に残る出来事と言えば、
みやの裏山で遺体を発見したことと、みやうちで首つり遺体を発見したことです。
父は驚いていましたけど、私は平静でした。
当時は、東西冷戦時代で、工作員がみやうちに入り込んで、巡回は命がけ、
治安は悪かったです。
みやの関係で得をしたことは覚えていませんが、
大陸で、スーパージャイアントパンダを何度もまじかで見ることになったこと、
メッカのボックスに触ったこと、観光地化する前のパンテオンに行けたこと、
くらいでしょうか。
珍しい洋菓子をカレー家のボンボンから、
ボンボンショコラを大量に食べさせてもらっていた前後くらいが
幼児の時の楽しかった思い出です。???W